【検証】高輪ゲートウェイは成功するのか? 六本木ヒルズ・お台場・幕張の教訓から学ぶ“人工都市”の命運

JR

2020年、山手線に誕生した「高輪ゲートウェイ駅」。
周辺では国家戦略特区による再開発が進み、「グローバルゲートウェイ品川」という“未来都市”を目指すプロジェクトが動いています。

だが、この「人工的に作られた街」は本当にうまくいくのか?
これまでも日本では、都市開発によって新たな町を「創造」しようとした事例があり、成功と失敗がくっきりと分かれています。

今回はその代表格――六本木ヒルズ・お台場・幕張新都心の事例から、高輪ゲートウェイの未来を読み解きます。


■ 高輪ゲートウェイ駅:都市と駅を同時につくる壮大な賭け

  • JR東日本が主導する「品川開発プロジェクト」区域(約13ha)
  • 高輪ゲートウェイ駅周辺には、超高層ビル4棟、広場、住居、商業施設が整備予定
  • リニア中央新幹線(品川起点)や泉岳寺駅との接続で広域交通ハブを狙う

だが現時点では駅周辺は更地が多く、2022年度の1日平均乗降者数は約17,000人と低迷
「名前だけ浮いている」「誰も降りない駅」など、社会的な冷ややかさも指摘されています。


【成功例】六本木ヒルズはなぜ都市開発のロールモデルになったのか?

● もともとは“すり鉢状の木造住宅密集地”

六本木ヒルズの土地は、麻布区六本木七丁目・六丁目にまたがる老朽木造住宅が密集するエリアでした。
戦後から続く住宅街で、土地所有者が細分化され、戦後復興の中で老朽化・狭小化・防災面の課題を抱えていました。

● 森ビルが仕掛けた30年越しの「市街地再開発」

1960年代から構想され、森ビルが地権者一人ひとりと交渉を重ね、
合意形成に30年以上を費やした市街地再開発事業です。

  • 1993年:都市計画決定
  • 2003年:六本木ヒルズ開業(六本木六丁目再開発)

● 反対運動と補償

  • 一部住民からは「森ビルによる囲い込み」や「コミュニティ破壊」への批判があった
  • 裁判闘争も起きたが、最終的に高額補償や居住継続の選択肢が提示され、合意形成へ

● なぜ成功したのか?

  • 土地を“森ビル一社”がまとめ切ったことで、空間デザイン・機能統合が可能に
  • 住宅・商業・オフィス・美術館・テレビ局(テレビ朝日)などを融合し、常時滞留人口を創出
  • “ヒルズ族”という新しい都市イメージを生み、文化・経済・不動産価値をブランディング

「都市に新たな文脈と生活を生み出した」ことが、単なるビル群との違い


【失敗気味の例】幕張・お台場のようにはなるな

● 幕張新都心

  • 千葉県が主導した行政計画型開発
  • 幕張メッセ、ビジネスビル、住宅街が機能的に配置されるも、
    • 昼夜人口のアンバランス
    • 生活感のなさ
    • 鉄道の末端でアクセスに不便
      → 「住むには不便、働くにも単調」とされ、20年以上経っても生活都市にはなれていない

● お台場・青海

  • 1990年代、臨海副都心構想でテレコムセンターなどを整備
  • モノレール偏重、道路インフラに依存、利用者は観光客中心
  • 商業施設の撤退相次ぐ
    「都市として根を張れなかった」典型

高輪ゲートウェイの成否を分ける3つの条件

  1. 「誰が使うのか」を明確に描けるか
      → 通過者・通勤者だけでなく、居住者・文化発信層を惹き込めるか
  2. 交通ハブとしての強みを街と結びつけられるか
      → リニア、山手線、京急…交通利便を「町の回遊性」へ転換できるか
  3. 都市ブランドを創れるか
      → 「ゲートウェイ」という名前が象徴する未来志向を、空間や文化で体現できるか

【結論】高輪ゲートウェイは六本木ヒルズになれるのか?

高輪ゲートウェイが成功するかどうかは、「地名の付いた超高層ビル群」になるか、
それとも**「新しい都市の物語を紡げるか」にかかっています**。

六本木ヒルズは、30年をかけて土地を握り、コミュニティと文化を生んだ。
一方、行政主導で用途とゾーンを分断した街は、人の流れができず、ビルの集合体に終わる。

「駅と街は別物」ではなく、「駅が都市の物語の出発点」となれるか――。
それこそが、高輪ゲートウェイの真の試練です。

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