俳優山田裕貴の父、山田和利という“職人”—中日・広島で愛されたユーティリティの生涯

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土の匂い、グラブの音、軽やかな一歩目。派手な見出しよりも、勝利に近づく“正しいプレー”を積み重ねた人がいました。中日と広島で愛された内野の職人、山田和利。ユーティリティという言葉の良さを体現し、指導者としても若手の背中を押し続けたその歩みは、思い出すたびに心が晴れてくる——そんな温かな記憶で満ちています。


生涯スケッチ(1965–2025)

  • 出身:愛知県名古屋市/東邦高
  • プロ入り:1983年ドラフト4位で中日へ
  • 選手歴:中日(1984–90)→広島(1991–95)→中日(1996)
  • 指導歴:中日(1997–2004)、広島(2011、2015–2021)
  • スタイル:内野の要所を守れるユーティリティ、状況に応じた小技と堅守

“どこを守っても安心”。チームメイトや首脳陣の口から自然とこぼれる信頼感。スコアブックには残りにくい価値を、当たり前のように提供し続けた選手でした。


プレーヤーとしての魅力

1)ユーティリティという才能

ショートの深い位置からの送球、セカンドの機敏な併殺、サードでの前への一歩。守備位置が変わっても守備の軸はぶれない。だからこそ、チーム事情に応じてスタメンカードを切れる——監督が戦術を描きやすくなる存在でした。

2)攻撃面の“効かせ方”

状況に応じたコンパクトなスイング、走者を進める打球、ここぞの長打。派手な数字よりも試合の文脈に合った一打でベンチを沸かせる。1990年代前半の広島時代には、攻守で“効く”働きが際立ちました。

3)記憶に残る瞬間

プロ初本塁打は強敵からの一発。相手の名をなぞるより、その打席に向かう凛とした姿勢を思い出したくなります。静かに、しかし大胆に。あのフォロースルーは、今もファンの目に焼き付いています。


指導者としての“晴れ間”

現役引退後は、中日・広島のコーチとして内野守備と走塁の基礎を徹底。ゴロの入り方、捕ってからの一歩、スローの角度——上手さの理由を言語化し、若手に伝えることができる人でした。
「うまくやろうとするな、正しくやれ」——こんな一言が、何人もの選手を伸ばしました。二軍指導の時間が長かったのは、未来の一軍を晴れやかにするため。土台を整える喜びを知る、誇り高い現場人でした。


人柄:表より“裏方”を愛したプロ

メディアに大きく出るよりも、チームが良くなる選択をする。調子の波がある若手に声をかけ、守備位置をまたぐベテランを労う。勝っても負けても、最後は笑顔で締める
私心を挟まないその姿勢は、家族や仲間を気遣う眼差しと地続きでした。結果よりプロセスを、個よりチームを——それが山田和利という人でした。


受け継がれるもの

  • 守備と走塁の基礎は、チームを強くする最短距離
  • ユーティリティは“穴埋め”ではなく“勝ち筋を増やす戦略”
  • 上手さの理由を言葉にして伝えることが、次の世代の光になる

グラウンドに落とした無数の正しい一歩目が、これからも若い選手たちを導いていきます。山田和利という職人が残したのは、数字だけでは測れない“上達の道筋”でした。


年表(ダイジェスト)

  • 1983:ドラフト4位で中日入団
  • 1991:広島へ移籍、内野の要として活躍
  • 1995:攻守で存在感、ユーティリティ像を確立
  • 1997–:コーチとして基礎技術を徹底、育成に献身
  • 2015–2021:広島での指導に注力、次世代の礎に

結び:ありがとう、職人

派手な花火より、毎日の青空。チームが“今日も戦える”のは、職人の仕事があるから。
**山田和利という“晴れ”**を、私たちはこれからも忘れません。
グラウンドを駆ける足音、内野に響くミット音。——そのすべてが、野球の楽しさを思い出させてくれます。

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