■「かくかくしかじか」──泣ける傑作が不倫騒動で汚された日
2025年5月16日。
漫画家・東村アキコの自伝的傑作『かくかくしかじか』が、待望の実写映画として封切られた。主演は永野芽郁、恩師役には大泉洋。この日を待ち望んでいたファンも多かったはずだ。
だが、公開初日の舞台挨拶は感動とは真逆の意味で「涙の場」となった。
主演・永野芽郁が、冒頭でこう語ったのだ。
「このたびは、お騒がせし、関係者にご迷惑をおかけして、すみません」
そう、不倫疑惑で世間を騒がせた張本人が、作品の晴れ舞台で“涙の謝罪”を行ったのである。
■「恩師との9年間の絆」を描いた作品が、裏で“裏切りの関係”?
『かくかくしかじか』の原作は、恩師・日高先生との絆を描いた感動作である。
それを演じる永野芽郁は、公開前から「東村さんに演じてもらいたかったと言われて光栄」と語り、PRに励んできた。
しかし、その最中に浮上したのが、田中圭との不倫疑惑。
清純派イメージで売ってきた永野にとっては致命的なスキャンダル。芸能活動の継続すら危ぶまれる中、作品の内容とまったく逆の私生活が露呈した。
「恩師との絆を大切にする少女」という役柄と、「家庭ある男性との不貞関係を持った若手女優」。
あまりにもギャップが激しく、観客は作品に感情移入どころではない。実際、SNSでは以下のような声も上がっている。
「中身はいいのに主演のせいで台無し」
「映画に罪はないが、主演が出るたびにしらける」
■泣くのは観客のほうだ──涙の謝罪パフォーマンスに冷ややかな声
舞台挨拶での永野芽郁の涙──。
それに寄り添う大泉洋がハンカチを手渡し、会場を和ませようとした姿も報じられた。
だが、ネット上では「同情を引こうとしてるのか?」「プロモーションの場で涙とは違和感」「泣いてる場合か」と批判が噴出。
宣伝の場を「私的な謝罪会見」に変えてしまった責任は重い。
映画関係者、共演者、そして一番の被害者は、何よりこの映画を楽しみにしていた原作ファンと観客である。
■PR活動も逆風、テレビ出演や広告展開に影
不倫疑惑の影響で、映画関連のプロモーションは大幅に縮小された。
地上波のバラエティ出演は見送られ、タイアップ企画も軒並みキャンセル。X(旧Twitter)やInstagramでは「主演があれじゃ見る気がしない」という意見が繰り返されている。
映画の内容自体は傑作で、演出や脚本も高評価を得ているが、「主演女優のスキャンダルが台無しにした」という評価がすべてを覆いかねない状況だ。
■まとめ:女優の私生活が作品を壊す時代
作品と役者の人格を分けて見るべき──という意見もある。
だが現代の芸能界において、イメージはすなわち「商品価値」である。永野芽郁の涙の謝罪は、決して作品を救うものではなかった。
むしろ、「泣くことでリセットされると思うな」「プロ意識が足りない」と感じた観客は少なくない。
素晴らしい原作と、渾身の映像化。
その価値を“壊した”のは、主演女優自身だったのだ。
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